俺が殺した男の名前はAという。あえて伏字にしたが本当は本名を出したいくらいだ。ネットで検索したら今でもその名前が投身自殺者のニュースで出てくる。仮名のAとニュースソースに出てくる名前、どちらでも同じことなのに、それに苗字姓名がつくと、その親の顔や子供の存在、今までつながってきた血脈を想像してしまって、長い年月を自分の手で切り裂いたのだとあたらめて実感がわいてしまう。 とにかく、俺はあいつのことを名前で呼ばないようにしている。できれば名前も忘れたいくらいだが、夜な夜なAの顔が夢に出てくるようでそれを払拭するように俺はいつもの儀式をする。その儀式については後で語りたいと思う。
Aと俺は職場の上司と部下の関係だった。それが新卒で入ったのはとある大手証券会社。俺は大学でも体育会系のサークルで活躍していてどこでも成功してやるっていう野心に満ちた、まぁ今から考えたらどこにでもいるようなその他大勢の体育会系大学生だな、その一人だった。 Aは当時営業部の課長。俺より一回り上で、俺にとってはどこにでもいるような普通のおっさんっていう感じのいでたちだった。
入社から三ヶ月は普通の研修があり、それぞれそこから配属が決まって、それはAの第二営業部法人向け営業を担当することになって。新卒が法人営業を任されることはほとんどなく、それは大きな期待を感じ胸が高鳴って。よし!ここで成果を上げて勝ち組の時流に乗ってやる!それはそう思った。しかし、現実はそう甘くもなく、やることなすことが裏目、契約など全く取れることもなく、それでいてノルマが減ることもなかった。 そのうち指導係のB先輩からA課長に報告がいき、俺はダメ新入社員のレッテルを張られることになった。
一度張られたレッテルってやつはなかなかけせない、特に上役から張られたレッテルはどうしてもとれない。なぜなら俺なAにとってはその他大勢に一人で俺の代わりなんてAにとっては腐るほどわいてくるのだから。 俺を育てる気持ちなんて全くなくなったAは露骨に俺を退職へと追い込もうとしてきた。 まず毎朝の朝礼、各自一分間スピーチとそれぞれの一日の目標を言われてるのだ、これが全く意味がない。未だにこんなことをしているのが日本の企業だ。 そこでもまぁ、普通にこなしていればいいのだが俺の時だけAの指導はきつかった。
やれ、新聞の片隅に載っているような些細な経済事情について詰問してきたり、くだらない雑用を押し付けて営業にまわせる時間を削られたり、それでいて営業ノルマを減らすことはなく、俺は課の中で一人孤立しノロマを達成できないお荷物として精神的にも肉体的にも削られていった。 それでも持ち前の体育会系の精神でなんとか我慢していった。 いつか認めてもらえる。
そう信じた、いや信じたかったんだ。誰でも人間ってやつは全くの悪っていうのはいないだろう?真面目にコツコツやってればいつかは評価は変わるもんだ、ってそうオヤジにも言われたから。 半年が過ぎて、全く変わらない詰められるばかりの日々、当然営業成績は伸びるわけもなく同期とも差がつき始めやることといえば、先輩たちがあきらめた営業先へ毎日足を運び無駄だとわかっていながらも向こうの罵詈雑言を聞かされて、上司のAに馬鹿にされる、これが俺の仕事なのか、それはこんなことのために、就職したのか。 俺の親父は高卒だった 俺の親父は地元の高校を卒業してからずっと小さな町工場で働いて俺を大学まで送ってくれた。 親父は真面目だけが取り柄っていう奴だろうか、そんな親父を尊敬しつつも俺は違う人生を歩みたい、もっと金を稼いで会社で出世したいんだ、ってそう思って今の会社に入った部分もある。
なにせ完全実力性って話だったからだ。 それが今では俺もただAという上司にいびられるのが仕事、ある意味で完全実力性といえるのかもしれない。俺も所詮はこんな程度の人間なんだなってそう思うようになったよ。