呪い代行って知ってるか?

呪い殺したいやつがいる

呪い殺した相手の名前は忘れられない

俺の呪い代行の儀式は完了した。手応えなどはなかったが、あのイメージは消えることがなかった。あのAの最後の顔、飛び込んだ瞬間のキーとい電車の嫌なブレーキの金切り音、夢と呼ぶには生々しかった。 俺はあの駅に行ってみようかと思った。行ってみて、自分が見た妄想と違う点があればそれが妄想であると信じられると思ったからだ。しかしその瞬間、恐ろしいことを耳にしたのだ。 A課長が亡くなりました。会社の定期報告のメールでこんな文章を目にした。俺はその瞬間、色んな考えが逡巡した。なにが?なぜ?いつ?どうして?・・・まさか俺の・・・? 恐る恐るリンクをクリックした。A課長が帰宅時に某駅から飛び込み自殺をされました。つきましては葬儀の・・・・それ以降は読む必要もないだろう。 Aが・・・あの駅から・・・飛び込み・・・偶然・・・なのだろうか・・・。 俺の手はいつの間にかぐちゃぐちゃの汗でぬれてた。動悸が高まり、めまいもする。これは後悔の高まりでないことを誰よりも俺が知っていた。それは一瞬で息を整え、つぎの雄たけびを上げた。勝利の雄たけびなんてかっこいいものじゃない、まるで野生の動物のがその日生き延びたことを天に告げるような生命の叫びだ。 心配した両親が下から登ってきた。心配んだ、父さん、母さん、ちょっとすごいことがあっただけなんだ。鬱の症状をしっている両親は怪訝な顔で心配そうな顔で俺を見ていた。 俺の呪いがAを殺した!端的にもっと言おう、現実を味わおう、俺がAを殺した!ぶち殺してやったんだ!あの時に見た想像、あれこそが呪いの形だったんだ。牛に出会う、牛とはなんだ。Aはあの時、俺の顔を見たはず、それでも何も言わなかった、もしかしたらあの時Aが見た俺は、俺こそが「牛」だったんじゃないだろうか。

Aが呪いで死んで俺の未来が

Aの死は自殺として処理されたそうだ。帰宅時だったそうだが、その前に風俗かどこかで遊んで酔っぱらっていた帰りだったそうなので労災なども一切おりない、死に損ってやつだ。まぁ、この辺りは会社も非情だ、あの会社にしてあのAだ。どっちにも天罰が下ればよかったのだか。 そんなことで葬儀もひっそりとしたもの、死んでから死人に口なしとはいうが、Aの悪評は広まるばかりで、死んでくれてよかった、とまで言う人すら出てきた。トラは死んでも皮を残すというが、Aという小者は死ぬことで本来の評価が下されることとなったのだ。

俺の現在

Aが死んでから俺の立場は逆転した。休職中で退職を勧告されていたが、Aのパワハラなどが認定されることとなって、死んだAにすべての責任を落ち着けたい会社と、復職したい俺の要求が見事にマッチ、希望の職場への復職が認められた。 Aの一件以来、周りの俺も見る目も変わったように思える。もちろん俺は呪いをかけたことも呪いで人を殺したことなど言ったこともない。きっとこれから誰にも言うこともないし、同じような苦しみを抱えている人間にJを教えることもないだろう。

なぜなら呪いの力を目の当たりにして、まともな人間ならその力の強さの前に自分がやられてしまうんじゃないかってそう思うからだ。 俺は一人の人間をこの手で殺した。後悔はない。

復職も決まって仕事も順調、以前よりももっと平和に幸せに暮らしている。 全てがうまく行ってるんだ。だからAよ、もう俺の夢に出てくることはやめてくれないか。次はあんたが俺を呪い殺そうとしているんだろう?