呪い代行って知ってるか?

呪い殺したいやつがいる

呪殺の依頼

呪い殺しの依頼とは一体どのようなものなのだろうか。もしかしたら契約書などが存在するのか。 実際はとてもシンプルなものだった。担当のカウンセラーと何度も相談を重ねて、今の現状心境と覚悟、そして願う内容を事細かに聞かれた。こうしたやり取りを何度だろうか、一ヶ月以上使って行ったと思う。

正直なところ、なぜ何度も同じやりとりをしなければならないのか、何度も同じことを言われせて何がしたいのだろうか、本当にこの人は俺の話を聞いてくれているのだろうか、といらだったこともあった。 後でわかったことだが、それは何度もやり取りし、気持ちの強さを図っていたそうだ。呪い殺す!と本気で思っても、大半の人間が、いや、やっぱりちょっと・・・と気持ちが変わることもあるらしい。

Jではむしろ、そうやって気持ちが変わることを願っている部分もあるようだった。誰もが呪い殺す!呪い代行なんて使わなくて幸せに生きていけるならそれが一番なんだろうな。 残念だけど俺はそういう幸せな人たちとは違って、もう呪いの道に入り込んでしまった人間なんだ、俺の気持ちかわらない。どうしたいのでしょうか、カウンセラーが聞くたびに、俺はまっすぐ、強く、Aの死を望んでいます、と答え続けた。

依頼が認められてからは早かった。具体的にどうすればいいかの指示は全てJからやってきた。 詳しいことはJとの契約で機密事項扱いになっているから言わないが、依頼してから儀式が行われるまでは気持ちが落ち着かなかった。夜中になぜか誰かに起こされたり、不思議な音が聞こえたりと、今までの世界から呪いの世界へ自分が入り込んでしまったという実感が確かにあった。 Jとの約束の中で儀式の日時は一緒に祈るようにと言われた、その際にもしも一瞬でも後悔の念がわいてきたならすぐに中断するように、中途半端な呪いは自分の身を亡ぼすことになりますからね、と何度も強く言い聞かされた、もちろん俺に後悔の念などわくはずもなく、それはカウンセラーの男性のみ何度も何度も言い返したことであった。

カウンセラーはそういうことでもこの言葉は忘れないでくださいね、と念を押されたものだった。あれのほど呪いに精通しているカウンセラーでさえ、恐れる呪い返しとは一体どれほどのものなのだろうか。 掛けた呪いの数倍が返ってくるともいわれる。もしも呪殺を願って、それが呪い返しとして自分に返ってきたなら、死を超える呪い、それは来世へと続くほどの呪いということなのだろうか。来世があるのかどうか俺にはわからないが、現世では解決しないほどの呪いとは俺には想像もできないし、したくもないほどの恐怖だ。 とにかく、俺の依頼は受諾されたんだ。

ホッとしたのもつかの間やることをやらなければならない。言ったとおり後悔してはいけない、強く相手の死を望み続けないといけない、簡単に思えるかもしれないが、これは本当につらいことだと思った。ふとした瞬間、例えば空がきれいだ、とかおいしいものを食べた、とか家族との普通の時間を過ごすとか、なんでもいい、そうしたふとした瞬間、人間は生きててよかったんだ、今までいろいろあったけど、今が幸せならそれでいいじゃないかって、いい意味でも悪い意味でも前向きに生きれるようにプログラムされてるって言っていい生き物なんだ。

俺もそうだんった、A死ね!ってそう毎日思っていたけど、一瞬、魔が差したのかな、(魔という言い方もおかしいが)Aにもきっと色々ストレスとかあったんじゃないだろうか、って・・・一瞬そう許しの心が芽生えかけたことがあった。幸か不幸か、魔が差した、といういいかがも逆説的なんだが、俺の場合は、こんなことがあった。

ある時、同僚の一人が心配して電話をくれて一緒に飯を食い位に行くことになった。 そいつは俺とは違う課だったけどAの悪評は知っていて、俺の事もあったのでAの動向を逐一チェックしていた。そいつがいうにはAは未だに俺を休職にまで追い込んだことをまるで誇りに思っているように部下を指導する際には言っているらしい。お前ら、使えなかったらアイツみたいにしてやるぞ、って。今まで何人の使えない新入社員を俺が追い込んでやったと思うんだって。ああいう使えないやつは指導するよりさっさと次のやつと入れ替えたほうが効率いんだからって。

あぁ、こいつはやっぱり地獄に送らないといけない。一瞬でも許しの慈悲の心を持とうとした俺がばかだった。こういう導きも呪いの因果応報なんじゃないだろうか。

こうして呪殺の依頼は実行される

俺の意志はこの時において確固たるものに代わった。Aに死を!呪術師の言葉にもう迷いはなかった。俺が依頼した内容は一週間ともに祈祷するものだった。毎日深夜二時に共に瞑想を行う。

不要だといわれたが居ても立っても居られない。自分だけが布団にぬくぬくと眠って、自動的に相手が死ぬなんて、そんなことが考えられようもなかった。後々の後悔がないように、もっと言えば自分が手を下したんだっていう実感が欲しかったのかもしれない、それは罪悪感から逃れたいと思っていた弱い自分の心との決別でもあったのだ。

呪いを上げる効果を色々と聞いて、肉食を絶つこと、心身を清めること、部屋に塩をまくこと、などできることをやった。一週間だったので断食をしようかと思ったが、鬱の薬の副作用もあり、食事はきちんととるように医者から言われており、せめて肉食とインスタント食品や酒などの嗜好品はやめることにした。

清貧であること、それが呪術師からいわれたことなのだ。 毎日の風呂も気を使った。あら塩を肌を揉みこむ、毛穴の中からすべての邪気が出ていくようにイメージした。効果があったのかどうかわからないが、やらないよりややった方が悔いは残らないものだろう。 その時間、深夜の二時から明け方の六時、いわゆる丑の刻というやつだろう。

Jによると呪いが達成した時には牛が出会うことがあるそうだ。牛とは一体何だろうか、何かの比喩表現名だろうと思う、さすがに都会に住む俺の部屋で牛に出会うことなど不可能であるから。Jの担当者にそのあたりを聞いてみたが、あなたの判断次第です、と濁された。どうも呪術についての具体的な説明は入会などしない限り教えてもらえない仕組みのようだった。

その時が来る。二時を回るころ、俺も北北東に向かって頭を垂れてその身を開いた。素人に何ができるものか、呪術師に聞いてみたが、何もする必要はないのだ、と言われてしまった。やることはないのだ、ただ強く念ずることが必要なのだ、儀式において大きな祭壇や生贄や呪文などは素人には必要がない、それは本職である呪術師が呪いとつながるときに用いるものであり、一般人が呪いをかける、死ね!と念ずるに、何が必要であろうことか、そうだ、俺がするべきことは様式や形式にこだわることではなく、真に心から、全身全霊をもってい一人の生命この世から抹消したいのだ、と自分の生命をかけて共に祈ることなのだった。 全身から汗が噴き出す。これほど一生懸命に何かを祈ったことがあるだろうか。

誰かに好きになってもらいたい。宝くじにあたりたい、そんなものとは比べられない。人を殺すのだ。段々と時間の感覚が薄れていく。今は何時だろうか、俺はどれくらい・・・・そんなことも考えられないくらいになったとき、ふとAが死ぬ瞬間が頭に浮かび始めた。最初は首を絞める、首つり自殺。誰かに後ろから刺される、殺人。

どこかのビルから落ちる、事故だろうか・・・。想像が止まることはなかった。まるで映画の総集編を見るように次から次にAが死ぬ瞬間が巡ってくる。次の瞬間、Aが駅にいる風景が目に留まった。あの駅は・・・そうだ俺が飛び込もうとしたあの駅じゃないか。Aはこともなげに携帯をいじっている、その顔には笑みすら浮かんでいるように見えた。家族か友人とメールのやり取りでもしているのか、それとも不倫相手か・・・どちらにしても想像の中のAは楽しげだった。 くそが!あのAが!Aを見つめる俺は鬼の形相だっただろう。お前がいるその場所で俺は死のうとしたんだぞ!そうだ!そこに今から入ってくる電車に俺は飛び込もうとしたんだ!わかるか!お前が俺の人生を狂わしたんだ!その償いをお前はするのか! お前こそがその電車に飛び込むにふさわしい罰を受けろ! その瞬間、急にAがスマホから目を離してこっちを見たようなそぶりをした。

目が合った?Aは俺の存在に気が付いたのだろうか。驚いてスマホが手から落ちた。ヨロヨロ、二歩、三歩と後ろに下がりながら、Aは顎をガクガクさせながら、泡を吹いて、急にギャーと叫び声を上げた。 なんだこれは?現実なのだろうか。俺は部屋にいながらもその駅にいるかのような感覚があった。頭の中のAが現実のAとクロスーバーしていく不思議な感覚。それはその場でAに詫びろ!死ね!飛び込め!とあらゆる言葉をぶち当てた。

すると・・・次の瞬間、Aは真顔に戻って、はいわかりました、と言わんばかりに、電車が入ってくるその瞬間、フォームから線路に飛び込んだ。真っ赤に染まった俺の視界、それで俺の意識もなくなった。 この想像は一週間の中で立った数秒の事だったと思う。実際に残り六日間は何もなかった。これが意味することは何なんだろうか。

もしかすると鬱の薬の副作用だったのかもしれない。処方された薬の中には安定剤みたいなのもあったし、睡眠の重要性は誰もが知るところだ、それを一週間徹夜で誰かの死を望み瞑想していたんだから、どんな錯覚を見たって驚かれるものじゃない。